Home > 人間 Archive

人間 Archive

ひょっとしたら間違えているのかもしれない、ということについて

  • Posted by: hayax
  • 2009年5月14日 01:09
  • 人間

どうもお疲れ様です。


今回は、昨今の日本はあるべくしてあって、あまり窮屈に物事を考えることは間違えているのかも、、、と思ったことについて書きたいと思います。

Continue reading

募金のあれこれ

どうも、お疲れ様です。


今回は「募金」について考えてみたいと思います。
予めですが、別に募金がどうのこうの、ではなく、募金を装って詐欺をする人もいるみたいなので、全体的なことを別の視点から見て考えてみたいと思った次第です。


個人的な思いだったりするのですが、募金その物はあまり好ましいモノとは思ってません。
ある種の公共性があることだったりすると思うのですが、公共性も何もない状態でするべきことではない、と思うのです。


街頭募金なんかは、もろにそれに当てはまると思ってます。
突然、、、

「東南アジアの ○○ には、貧しい人が、、、」

とか、、

「○○ちゃんが病気で、、、」

みたいなことを言われても、同情しか思い浮かびません。汗
皆様方もだと思うのですが、後から考えると、なんのこっちゃいな、、、という感じです(だと思います)。

ホントにその募金を理解して、 \100 くらいはいいんじゃないか、という判断を下したり、真剣な想いで募金をしたり寄付をするのであれば、それは個人の考えの下での行動なので、何も咎めることはないのですが、募金活動がそれを期待しての行動、というか何と言うかですね、、、そこまで悪だとは思ってないのですが、兎に角そう思うわけです。


なので、 24 時間テレビみたいな時はお金が集まり易くて、街頭募金やコンビニ募金箱などは集まりにくいんだと思います。
24 時間テレビは、どれだけのお金がどうなるのかがある程度のレベルで分かるので、みな納得して募金をしているんだと思います。
しかし、街頭募金やコンビニ募金は分からないことが多いため、「ついで」感覚が強いと思うのです。
仕方ないといえば仕方ないとは思うのですが、あまり好ましいことだとは思えないのです。
恐らく、皆様方も同じような感覚はあると思うんですよね。


しかし、もっと酷いのはこれに乗じて、お金を持って消えてしまう人がいる、というところです。

昨年のだんじりの季節に、「だんじりに寄付をお願いします」ということで、だんじりの寄付を集めて回ってた人がきたのですが、その 2 日後にそれが詐欺だということが発覚しました。

何と言うかですね、、、取り立てて腹が立ったりすることはないのですが、こういうのってやっぱダメだなぁ、、、と思うのです。


総じると、なんか証明書みたいなのを持って募金活動をすればいいのに、、、と思う次第です。

募金を求める人も、そんな活動をする前に仕事をして資金を集めればいいわけですし。
と、簡単なことではないことは分かるのですが、それくらいの覚悟で活動をしてほしいのです。


同じ話として挙げていいことかどうかは分かりませんが、とりあえず挙げるとすると、、、

里親募集関係のサイトであったり、情報というのは、割と手の届き易いところにあったりします。
なぜかというと、関係者の方は youtube とレンタルブログなどを利用して、広報活動をしているからです。
また、理由も明確で、
「気まぐれでペットショップに行って動物を買う(飼う)前に、精一杯生きようとしている命を育ててください。」
ということを言っていると思います。
里親募集関係のサイトをやられている方は、ボランティア状態でネコや犬をはじめとするペットを飼われていると思います。
また、必死なので広報活動が伝わり易いんだと思います。
と、数字を挙げても証明が出来そうな気がするのですが、ここではあえてこの辺で止めておきたいと思います。

募金活動をしている人が何もしていない、ということを言うわけではなくて、、、ということはご理解下さい。^^;


と、そんな感じで思ってたりします。
募金その物が悪いことだと言うわけではなく、公共性も考慮して活動をして頂きたいなぁ、、、と思う次第です。

自然との付き合い方

どうも、お疲れ様です。


今回はぼやきに近いことになりそうな予感が今からしています。w


有史以来、人類は数千年ものあいだ、地球で生活をしてきました。
そんな地球が徐々に壊れてきています。
それも、直近 100 年程の期間で、それまでにないスピードで壊しにかかっています。


海の水を汚してしまって、空気も汚してしまい、動物を増やしたり減らしたり、兵器を用いて戦争をしてみたり。


人は医療の技術を発展させて平均寿命を伸ばすことに成功しました。
だけど、安楽死みたいなのは倫理に反するからダメだそうです。
どれだけ生活が苦しくても、どれだけ本人が死にそうなほど苦しくても、やはり生きることが一番、ということです。

※安楽死を賛成する、とかそういうことではありませんし、反対を言っているつもりもありませんので悪しからず。

もし、本当に神様みたいな存在がいるとしたら、ここ 100 年間もの間に行った人の行為というのは、どのように判断されるのでしょうか。


自然との付き合い方というのは非常に難しいと思います。
現代社会の中で人が生活をする以上、自然にダメージが残ることが多いと思います。

詳しく研究したわけではないですし、専門家ではないのでよく分からないのですが、例えば、車やポイ捨て、ごみの処理や排水の処理、人工的に作り出したモノの処理については特に、だと思います。

少し気をつけたくらいでは何も変わらないんじゃないか、と思えたりします。


私事で恐縮ですが、ちょうど 1 年前の 2 月 14 日に家で飼ってたネコが亡くなってしまいました。
小学 3 年生の時、生まれたての状態で拾ったネコでした。
目も見えてない、凄く小さくて、誰かの助けがないと生きることが出来ない状態だって、それが冬頃だって、寒さで震えてた時のことは今でも憶えている感じです。
あれから 18 年経った今も忘れてなくて、これからも忘れることはないと思います。
後にも先にもこれくらい悲しい想いというのは、数えるほどしかないんじゃないか、、、と思っています。
んで、人生の中で初めて死に直面した瞬間でした。
色々なことを考えるいいキッカケになったと思っています。


ネコはぼくによくなついてました。
でも、高校から寮に入り、つい 2 年前(丸 11 年間)までは外に出てたため、ネコには可愛そうなことをした、と思っていました。

そんな人間様の世界で生活をしてたネコは、ぼくらを見てどう思ったかなぁ、、、と、未だに思ってたりします。
偉く身勝手だと思ったか、それとも「それなり」と思ってくれたか。
仕方がないと言えば仕方ない気がするのですが、それも人間が思うだけのことなので。。


ネコが亡くなるとき、物凄くあっさりでした。
ご飯を徐々に食べなくなって 3 週間ほどするとほとんど動くことがなくなり、その後 3 日後に静かに亡くなりました。
もし、ネコが苦しそうな姿を見せ続けるような状況だったら、そのときは獣医に行って安楽死を選ぼうかと思ってました。
飼い主としての責任を放棄している、ということを言われそうですね。^^;
実際に、そうかもしれないです。
その状況に耐えるだけの覚悟がなかったのかも。

ただ、ネコもここに来て苦しむ必要もないだろうし、最期くらいは安らかに逝ってほしいと思ったからです。

飼い主の責任は最期の最期まで面倒を見ることでしょうか。
それとも、ネコへの配慮をそれなりに考えてあげることでしょうか。

ひょっとして、そういうことを考えること自体「ナンセンス」なのかな、、、そう思えたりもします。
物凄く難しいですが、ちょうど 1 年前に初めてそういう想いを体験しました。


「何が言いたい」というわけではなくて、自然との付き合い方について、もっと考えるべきなのかなぁ、、、と、そんなことを考えてしまいます。
各地の動物管理センターで、年間で 80 万匹ほどの犬や猫を殺処分、ということみたいです。
理由は、人が捨てたり、生きることが難しい状況になってしまう犬や猫がいるからです。
(※犬や猫だけかどうかまでは知りませんが、兎に角、そういうことみたいです。)
有り得ないくらい悲しいです。


もう数百年の間に、地球は間違いなく生態系を変えるくらいの勢いで変化する、と言われています。
それはもう誰もが思ってることだと思います。

数千年もの間、保っていた均衡が数百年で崩れてしまうのも凄いことをしているなぁ、、、と思ったりします。

先にも書いたのですが、もし神様がいるとしたら、今人間が行っていることをどのように判断されるのでしょうか、物凄く気になるし、この先どうなるのかも気になります。


・・・・・・・・・・


さてさて、、、

永遠のテーマみたいなことについて書いたのですが、実際に社会的な問題として捉えることが出来る問題だと思うので、書いた次第です。
人様に云々言うことが出来るほど偉い人間だとは思ってませんが、出来る限りの努力をしたいし、また、周囲の人にも同じように言っていきたいなぁ、、、と、改めて思いました。

しかし、ホント、この先、どうなるんでしょうね。
気にしても仕方がないかも知れませんが、改めてそう思う今日この頃です。

いじめ ~いじめる側と総括~

どうも、お疲れ様です。


びっくりニュースを発見しました。

鳥取の小学校は「学級委員長」なし 「なれない子供が傷つくから」?

鳥取県・人権団体の方々のお考えがあってのことだろうとは思うのですが、その意見や意思、尊重すべきこと、考え方を表明して頂きたいと思います。

それよりも個人的には、橋本府知事のガンガン前に出る仕事っぷりの方が好感度高いです。


さて、前回の続きとなるいじめについて書こうと思います。


前回は、いじめられる側のことについて書いてみました。

今度はいじめる側のことと総括(?)を書こうと思います。


いじめる側の心境、、、というか、小中高の頃って、「やんちゃ=カッコイイ」という概念みたいなのがあると思います。
それだけが理由というわけではないと思いますが、心情はそういったところにあると思います。
そのため自己表現の手段としてそういったことをしてしまうんだと思います。


ただ、気の弱い人の場合は先生や親に怒られることが怖くてしなかったり、気の弱い人に限らず友達が好きでそういうことをしない人が大半だと思いますが、頭にきて開き直る人が出てくると大変です。
やりたい放題しそうな勢いになるので、手がつけられなくなる可能性があったりすると思います。


しかし、これらは絶対的に間違えていることを伝えなければいけません。
これについて、もう体当たりでの教育でしか解決出来ないと思ったりします。

カウンセリング施設がどれだけあっても事後の対応でしかなかったり、海外の文化としていじめ防止プログラムがあるようですが、日本人に馴染み易いプログラムなのかどうかを考えた時、なかなか馴染めないと思います。
現在も何か思索中かも知れませんが、いじめは増加傾向にあるようです。


暑苦しいほどのことをする先生がどれだけいて、「もう逆らえません。」と言わせることが出来る先生が何人いるか、というところに尽きるような気がします。
ほっとけば、モンスターペアレントというやつまでのさばるくらいですから、先生も大変です。
教師いじめというやつでしょうか。


小中高の時というのは、体力がモノを言う世界、、、というわけではないのですが、体力差でモノを言う人がいます。
持って生まれた個人差、というところでしょうか。
なので、どこかで上下感が生まれてしまうと、いじめの可能性が出てくると思えます。
体育大会やテストなど、様々なところで上下感が出てしまうところがあると思います。

ただ、そういった上下感がなければ人は努力しないですし、甘えてしまうと思うので上下感は必要ですが、必要以上にそれを強調する必要もないと思います。
が、いじめをしてしまう人というのは、そういった空気を読めないようなので。。

出来れば、「強きを挫き、弱きを守れ」ということを教える場所が学校であってほしいです。

誰でも強い部分があって、弱い部分もあるので、みんなで助け合い、、、ということを言うつもりはありませんが、自分発揮する場所を間違えないで頂きたいと思います。

弱いものいじめより、強い奴に向かってく方が断然カッコイイですしね。


言いたい放題言わせて頂いて物凄く恐縮なのですが、これらは自分にも言えることだと思ってます。
自分が強くなって、色々な人の助けになりたい、常にそう思っています。
自分の持っているモノの使い方を間違えず、信念と覚悟を常に持っていたいと改めて思ったりします。


さて、いじめは本当に宜しくないことだと思うのですが、「ダメダメ」と言っているだけではいけないと思うので、今後、そういったことに出くわした時には、キッチリと対応できるように色々と予測をしてたいと思います。


そんな感じで、いじめについての考察、、、というか雑感は終了にしようと思います。
ではでは。

いじめ ~いじめられる側の状況~

どうもお疲れ様です。


いじめについて続きを書こうと思います。


前回の記事に、いじめの(私の思うところでの)根本的な原因と、そのケースを書いてみました。
全てを書き出せているとは思っていないですがとりあえずは、、、というところだと思っています。


さて、今回は、いじめられている本人の気持ちや状況を考えてみたいと思います。


状況としては、かなり辛い状況だろうと思います。
自分一人がいきり立ってケンカする度胸もパワーもなければ、したこともないだろうし。
というか、そこまでやんちゃする人がいじめられるとは思えません。

んで、親や兄弟、学校以外の友達などなど自分に関わりのある人たちの顔を思い浮かべたら、物凄く悲しくなると思います。
自分が間違ったことをしたとは思えないし、それなのに、、、という思いに駆られたり。。

下手な相談は出来ないし、惨めなところは見せたくないだろうし、何よりそういった人たちを悲しい気持ちにさせたくない、、というのが、当の本人らの気持ちのような気がします。

だけど、自分一人だと何も出来ないのです。
かなりネガティブになって当たり前だと思われます、また、酷くなれば鬱症状を持ったりする可能性もあると思います。
この辺りは子供だけではないと思いますが。


実際にいじめられた経験、、、というよりは、学生の時、ぼこぼこにされてた時のことを思い出して書いてみました。笑
以前にも書いたかも知れませんが、ぼくは柔道をしてて、高校から家を出て生活してましたので、その頃は大変な生活をしてた感じでした。
先生は割と黙認状態ですし。笑

最も、ぼくは先輩からどれだけやられても、「そのうち、必ずやり返す」という気持ちを持ってやってたので、割と報われた感があったですけど、学校いじめの現場でそういう気概を持つことが出来るとは思えません。


話は少しそれますが、ここは学校の先生も少し考えなきゃいけないことだと思ってたりします。
いじめは絶対に許さん、という強い意思や決意や気概がない限り、誰もいじめはやめません。
先生が生徒より、強くあるべきだと思うのです。
学校や教育委員会や親御さんや国としては、授業を進めて勉強してナンボかも知れませんが、家庭教育が疎かになってきている以上、そういった道徳にも力を入れるべきだと思います。

なので、いじめの片鱗が見え隠れしていると思ったら、断固としていじめをやめさせるべき態度を取る必要があると思ってたりします。


話を戻しまして。


んで、最近ではカウンセリングなどの施設が出来てきているようです。
子供から大人まで、と言ったところでしょうか。
アメリカやヨーロッパでは、もっと進んできているようで、向こう曰く、「日本はもっといじめ防止のプログラムなどのインフラを整えるべきだ」ということを言っているようです。(欧米か!?)

いじめられている側としては、文化的な意味も考えると、まだまだ相談しにくいとは思うのですが、先生の器量でなんとか相談でも構いませんし、出来れば学校に行かせてあげられるような環境作りをして頂きたいと、他人事ながら思ってたりします。


最近では、ネット上(メール含め)でのいじめがあるようですが、あんなのは関わらなければいいだけだと思うので、何と言うか、、ノーコメントです。笑
個人情報を出されて中傷されたら、警察への届出をすればいいと思います。
若しくは、サイト運営社さんですかね。
書き込まれている情報と本人情報と被害状況を提出して、それがいじめだということが分かれば、誰でも動くと思いますけどね。
そういった状況証拠があれば迷惑防止条例違反とかで逮捕出来たりもするみたいです。
ネット上では顔が見えない、ということは正しいですが、公の機関が動けばすぐに個人情報は割り出せます。
いつ、どの回線(末端)で、どのサイトに居たか、ということなど。。
ウィルスで情報が流出してしまうようなことになると、犯人断定はかなり難しいと思うのですが、そうでもない限り、必ず割り出すことが可能です。
書き出されている情報と本人情報の一致が出来るような状態にして、必ずサイト運営社さんか警察へ届け出ましょう。


さて、うんたらうんたら書いたのですが、まずはこんなところだと思っています。
ただ、現場で働いているわけではないので、かなり想定が入っています。

現場で働かれている方々のご意見やご指摘などは、有り難く頂戴したいと思いますのでお気軽にコメントをお書き頂けたらと思います。


ではでは。

いじめ ~原因~

おはようございます。


先週の金曜日、久しぶりにお酒を飲みました。
その勢いでブログを書いたせいか、恥ずかしくなるようなことを書いてしまいました。汗
いつもそうなのですが、お酒を飲んだらブログは書くな、ということを思ってても、久しぶりだと勝手に手が動いてしまいます。笑

禁酒をしているわけではないのですが、まだまだ走り出しの身分なので、今の間は出来る限りお酒は飲まないでおこうと思ってたりします。


さて、前回の記事に書いたように、今回は「いじめ」について書こうと思います。

いじめについては、 wikipedia 参照でお願いします。


いじめ


「いじめ」というキーワードを聴くと、学校で起こる「いじめ」を思い出しますが、これは子供の世界に限ったことではなくて、大人の世界でもあったりすると思います。
所謂、「パワハラ」というやつや、「しごき」というやつです。

ただ、今回の記事では学校で起こりえる「いじめ」について書きたいと思います。


今回の記事では、「いじめの原因」について、個人的な見解を書きたいと思います。

いじめの原因って何か、ということに対する個人的な見解としては、
「力や能力の上下関係があるから」
というように思ってたりします。
(※表現上、語弊を招きそうな気もしますが、厳密な定義がないので、このように記載しています。悪しからずご了承下さい。)

喧嘩っ早い人に対していじめをしようとする人はほとんどいないと思います。
どちらかというと、気が弱くて、何も抵抗をしない人がいじめられる対象になるような気がします。
なので、安全を確保するためにも、集団でいじめをしたりすると思うのです。
ただ、先頭に立つ人のいう事を無視できない、という人も多いと思いますが。

どれだけキレイ事を並べても、この事は変わらないと思います。


厳密な定義が出来ないので、それらをケースとして洗い出してみたいと思います。


【いじめられる側のケース】
○勉強が出来て割と女子(男子)からも人気があり、周囲から陰口を叩かれいじめられるケース

○学級会みたいなときにやたらと仕切ることが多く、「少しうざい」と思われ始め周囲から陰口を叩かれいじめられるケース

○とてもどんくさくて何をやってもうまくいかないことが多く常に周囲の足を引っ張る人が、陰口を叩かれいじめられるケース

○見た目が周囲の方より劣る人が、いじめられるケース

○何をやっても抵抗しないことをいいことに、調子に乗られ始めいじめられるケース


【いじめる側のケース】
○実は前から、、、というような感じで根に持ってて、それを実行した時に得られる快感を得るために叩き始めるケース

○毎日毎日イライラしたりしてて、そのはけ口のために弱い人を見つけてあれやこれやとたたき始めるケース

○目立ちたいがために始めたことに、やたらと意見する人がいて、それが恥ずかしくて、意見する人に対して何かするために、こそこそと周囲に手を回し始めいじめるケース


と、大体こんなところでしょうか。
書き始めて何となく思ったのですが、自分自身、いじめられるケースの半分くらいは該当しているような気がしました。笑


とりあえず、今回の記事はここまでにしておきたいと思います。
続けると、簡単な私見だけで終わってしまいそうな気がするので、一つずつ掘り下げるような感じで続けようと思います。


因みにですが、中学・高校の体育の教員免許を持ってたりします。
ただ、学校の先生になれるほど、テスト勉強が出来るわけではないのですが。。汗
やれるなら、熱血先生になってみたいと思ったこともありました。

まぁ、その前にもっと勉強をしなきゃいけないですね。苦笑

ではでは。

何がそうさせるのか。

  • Posted by: hayax
  • 2009年2月 4日 00:54
  • 人間

どうも、お疲れ様です。


今日、こんなニュースを見つけました。


<放火容疑>「派遣切られむしゃくしゃ」26歳男逮捕 埼玉

いやはや、言葉が出ないです。
まだ、チャンスはいくらでもあっただろうに、何がそうさせたのでしょうか。


↑に限らず、秋葉原の件もですが、何が悪くて、何が善くなくて、こういった変な事件がおきるのでしょうか。

辛抱する力がないからか、努力する力がないからか、世間の圧力が強すぎるのか、つまらない情報(こういったブログやパパラッチみたいなニュース)が多いために変なことも正当化されてしまうからか、格差社会の影響か、、、うーむ。。


因みにですが、このブログは、変なことを吊るし上げたり、何かを偏見の目で見て検証することが目的ではありません。

見たこと聞いたことを出来る限り客観視し、社会的な問題を見ていく。
そして、全ての問題を解決しよう、という取組みではなく、少しでも考えて、少しでも動いていきたい、

ということを目的としていますので、ぼくが書いていることだけを鵜呑みにされても困るので、その辺りについて目的に沿った内容になってない場合は、ご指摘を頂けますと幸いです。

話が少しそれてしまいました。


経済的な格差が生まれれば、治安が悪くなるということは「世の常」的な感じがするので、こういったことがこれから起きても不思議ではありません。
みんなが「働く」というのは、そういうことなのかも知れません。

何れにしても、個人の努力なくしては何をしても悪い方向にしかいかないので、常々心がけておきたいところです。


こういった人間の問題ってのは、何時の時代も課題になるのかなぁ、、、と、改めてそんなことを思ってます。
全てを上手くまわそうと思っても上手くいかないと思います。
必ず何かの犠牲があって、上手く回り始めるんだと思います。
凄く難しい問題だとは思いますが、そういった問題と常々向き合うだけの覚悟を持っていたいと、改めて思う今日この頃です。

成果主義と年功主義について 続き

  • Posted by: hayax
  • 2009年1月28日 10:41
  • 人間

おはようございます。


前回に書いた「成果主義と年功主義について」の続きを書きたいと思います。


どうして年功序列主義ではダメ(というか、宜しくない)のか、ということから始めたいと思います。
あくまでも個人的な考えですので悪しからず。。


先に年功主義を賛成される方の意見として、

1. 「年功序列主義でも出世競争があって競争原理は生まれてる。」
2. 「会社に対しての愛社精神を表す指標みたいなのが在籍年数だったりする。」
3. 「日本人に成果主義は合わない。」
4. 「若いうちにそういった辛抱をせずに何が出来る。」

というように記載を致しました。
これが全てかどうか分かりませんが、調べる限り、代表的な理由はこのくらいだと思われます。

これらの内容は、昨今の現代社会では的が外れていることもあると思われるのです。


項目 [ 1 ] については、よく分かりません。
一般企業の大半がそうなのかどうか分からないです。
もし仮に、本当に競争原理があるというのであれば、どうして名簿などの情報資料がなくなったりするのか、そして、それをそのままにしようとするのかを教えて頂きたいです。
普通の中小企業がそんなことをしてたら・・・(以下略


項目 [ 2 ] について。
「愛社精神」が、売り上げや所得を上げるために必要なモノだったら、まだ分からなくもないのですが、あまり関係ない気もします。
20 代から 30 代の生涯賃金は団塊の世代に比べて、 5 割 ~ 6 割と言っている専門家もいるようです。
そんな状態で、不安いっぱいが現役の世代です。
何かあったとき、誰も何も助けてくれませんし、保証もしてくれません。
このまま 65 まで働いても、高が知れた年金生活になるわけです。

団塊世代の若い頃と今とでは、経済活動に取り組むための環境が違うと思います。
悪く言うつもりは全くないのですが、偉く羽振りのいいことをして頂いた分や、経済発展のためにつくって頂いた借金が、多少なりとも今に影響していると思われることを、もっと考えて頂く必要があると思います。
ただ、これに関して、その頃に頑張って頂いたからこそ、僕たちの生活が豊になったことも事実ですので、団塊世代の方の仕事を悪く言うつもりは全くありませんし、否定をするつもりはありません。
ただただ、少しは考慮して頂きたい、というところです。

また、その頃の仕事に比べて、 IT 化がずいぶん進みました。
色々なところで効率化が進んで、時間をかけて何かを学び、職人として仕事をする、という感覚が薄れてきているのも事実です。

高度経済成長の時期と今を混同して、「愛社精神と在籍年数は比例する」と主張されても、若い人は自分の身を自分で守らなければいけないため、非常にしんどいことだと思います。
ただ、若い人にも問題が多々あるとは思うので、一概には言えないですが、そう思う次第です。


項目 [ 3 ] について。
日本人に成果主義が合わない、というのは誰が決めたことなのかが分からないため、感覚で言われても困ります。というところだと思います。
言い方の善し悪しは抜きにして「ずばっ」と書きますと、、

トヨタの下請けをやってる工場は徐々に閉鎖されているみたいです。
販売台数が上向きだった時に他の取引先を増やすことが出来ず、 新商品の開発をしたわけでもなく、1 社に頼りきってたわけです。
どれだけ商品力があっても、次の手を考えてないと何れどこかで詰まるかと思います。
こういった部分においては、成果主義を導入して商品展開するくらいじゃないと非常に厳しいと思われます。

と、ほんの一部しか例にとってませんが、あまりいい面が出てきていないような気がします。


項目 [ 4 ]
若いうちに辛抱をせずに、、、とは、何処でも言われてそうな気がします。
というか、古代の壁画にも、若者を批判するような跡が残ってたようです。笑
要は、いつの時代も言われている、ということのようです。

が、先にも書いたように、現役世代と団塊世代とでは、経済活動のための環境と将来を見たときの姿があまりにも違い過ぎるような気がします。
今はもう「終身雇用」という考えをもって仕事をしている人は少ないと思います。

今でも業績を保っている会社さんはみな色んなところで努力されていると思います。
そういったところは、恐らく、成果主義を導入していると思われます。
なので、ここに関しては、別に成果主義でも、辛抱する人はしてると思いますし、全てを「辛抱」という言葉に置き換えることは、あまりにも楽観過ぎだと思ってたりします。


というように考えてたりします。

確かに言わんとすることは分からないでもないですが、現状を見る限り、やはり成果主義が導入されない限りは、これからも悪い方向に進むと思われるのです。


会社に居続けることは、悪いことでも何でもありません。
寧ろいい事だと思います。
その会社や経営者についていく覚悟の現われであり、そこにかかわり続ける覚悟があるかと思います。

ただ、少し考えてみて頂きたいのですが、真剣に本気で仕事をしてる時に、横で頬杖ついてパソコンとにらめっこをしてる人がいたらどうでしょうか。
また、ギリギリに出社してきて夜になったらすぐに帰る上司がいたら、きっと続かないと思います。
その辺りですぐに温度差が出ると思うのですが、要はこういうことだと思ってたりします。

無茶な仕事をすることが成果主義と言ってるのではなくて、誰もが真剣に本気で仕事をする環境をつくる必要があって、そのために成果主義を導入する必要があるんじゃ、、、と考えています。

次は成果主義において、数字を上げない部署についてです。
確かに数字を上げない部署は、成果を見づらいです。
人事や総務や経理ですね。

何時だったか、東京に居た時に取引先の社長さんに "こう" 言われました。

「人事や総務や経理がダメなところは、営業がどれだけ頑張っても業績は伸びない。」

凄く納得した記憶があります。

営業をしてると分かるかと思うのですが、これらの課がないとかなりしんどいです。笑
特に営業は色々な問題解決に必死になってたりするので、経理や総務までやらなければいけないとなると、かなり萎えます。笑

ということは、会社の業績と、その各個人のミスの回数や総務や経理や人事の仕事の進行具合などをチェックしておけば、ある程度の指標が出ると思っています。
その先は上司や経営者が考えることですので、会社の器が問われる、と言ったところでしょうか。

経営学とかってのは、こういった部分のマネージメントみたいな勉強がありそうな気もするので(実際のところは知りませんが)、こういった部分の勉強を専門的にやられている方と色々話し合って決めるといいかも知れませんね、そう思います。


と、かなり偉そうなことばかり書いたのですが、成果主義を導入したからと言って、必ず成功する、というわけでもないと思いますので、自分の考えは間違えていない、ということを言うつもりはありません。


長くなりましたが、以上です。


主張したいと思うことはどんどん主張してみようと思ってたりするので、お気を悪くされた方がおられましたらご指摘下さい。
出来る限りそういったことはないようにしたいと思うので、何卒宜しくお願いします。


ではでは。

成果主義と年功主義について

  • Posted by: hayax
  • 2009年1月27日 13:22
  • 人間

どうも、お疲れ様です。


今回は成果主義と年功主義について書いてみたいと思います。


一昔( 10 年から 20 年程)前までの日本の会社は年功序列主義でした。
今も大半の会社は年功主義で回っていると思われます。

しかし、 IT 関係のような若い集団が出来始め、また、会社が不景気になり始め、次第に成果主義が取り入れられるようになってきたように思えます。
まぁ、仕方がないような気もします。

個人的には、成果主義導入賛成 70% 、反対 30% という感じに思ってたりします。

年功序列が大賛成だと思われている方は、、

「年功序列主義でも出世競争があって競争原理は生まれてる。」
「会社に対しての愛社精神を表す指標みたいなのが在籍年数だったりする。」
「日本人に成果主義は合わない。」
「若いうちにそういった辛抱をせずに何が出来る、。」
ということを主張されているかと思います。

個人的にはそういったことが現代社会に当てはまるとは到底思えないことがあるので、賛成 70% なのです。
ただ、会社への在籍年数が長いことは凄いことで、人一倍、その仕事に対しての知識や見識や経験があります。
また、若い人が決済を持ったり、立場が行き過ぎると、色々なバランスを上手く抑制できないこともあります。
なので、賛成 30% だったりします。


成果主義は善い面もあれば悪い面もあると思います。
成果主義に大賛成する人は、一般的に見ると悪い面でもあまり悪い面と思ってないかも知れませんが。


成果主義の最大のメリットは個人の成果に対して、正しい評価をしてあげることが出来ます。
結果に対しての給料であったり、ボーナスであったり。

しかし、結果だけに捉われると、何をしでかすか分からないのが人間です。
また、気の弱い人や、どう頑張っても結果を出すことが出来ない人もいます。
それによって、全体の士気が下がったりも考えられます。

年功主義はどうかというと、各個人に対してそこまでの成果は求められなくなると思われます。
売り上げを上げても上げなくても、給料は変わらないわけです。
お役所仕事、というところでしょうか。

「やるからにはプロとして、、、」

と言う言葉はどこででも聞きそうですが、年功序列体勢で「プロの仕事」と呼べるわけありません。

プロ野球選手がそんな感じで仕事をしていると、間違いなく戦力外通告を受けることになると思われます。
サッカー選手も同じくです。
お笑い芸人が気を抜いていると、翌年、間違いなくテレビに出なくなります。
というか、気を抜いてなくても、テレビに出なくなることが多いのに。。

こういった世界は特殊かも知れませんが、プロを冠して仕事をする人は間違いなく成果主義で仕事をしています。
一般社会にそれを持ってくると、どのような仕事も出来なくなる、と思われるかも知れませんが、特殊な世界であっても、一般社会でも通ずる部分があると思っています。

それは、真剣に真摯で、真面目で、どこまでも本気でやってる人に対しては、失敗したり一時的な低迷があったとしても、誰かが救いの手を差し伸べたり、そういう人を必要とする場所が必ずある、ということだと思います。

プロ野球選手でも、 2 軍に落ちても復活できることもあれば、話題性を買われてスタンドに入れる人もいます。
また、野球関係の仕事やスポーツ関係の仕事などなど。
プロサッカーも同じくです。
お笑い芸人でも、それとなく芸能界で仕事をしてたり。。
また、そういった方々は他の世界でもやってける人が多いように思えます。

兎に角、折れずにめげずにひたむきにやりきってる人には相応の結果が出ていると思われます。
が、初めから勝負から逃げてると、そんなことがあるはずもないと思っています。

成果主義というのは、こういった面において凄いメリットになると思われるわけです。


しかし、年功序列主義でのメリットもあると思います。
先にも書きましたが、会社への在籍年数が長い人は仕事に対しての知識、見識、経験があります。
そのため、何をするにしても、ハズレが出にくい判断が多いと思います。
若い人が勝負をする時でも、失敗する時のパターンなども見えていると思われます。
また、無理な勝負をする時の判断は、確実に経験者や責任者の判断を仰がないといけないです。
失敗した後のフォロー然り、経験者でないと分からないことが多いこともあります。

そういった部分において、いきなり成果を出しただけでは見えにくい部分でもキッチリ出来るであろう人が年功主義の方には多いと思われます。
若い人達だけの集団では、すぐにバランスが崩れてしまう可能性があるように思える部分でも、上手く納めることが出来そうです。


仕事が IT 化し始めてて、 pc に慣れない方は、徐々にしんどくなる仕事が増える可能性があるかと思います。
が、そこは成果主義であっても年功主義であっても、取り残されないように頑張る必要があると思うので、その辺は論じないことにしておきます。


他にも考えようによっては色々あるかと思いますが、今回はとりあえずこの辺で一旦止めておきたいと思います。

成果主義において、数字を上げない部署についてはどうなのか?ということや、どうして成果主義が必要になってきたのか、ということを次回に書きたいと思います。
ではでは。。

Index of all entries

Home > 人間 Archive

Feeds
Links

Return to page top