- 2009年1月19日 15:03
- 生活
どうも、お疲れ様です。
今日は、アメリカ式(洋式)と日本式について考えてみたいと思います。
「アメリカ式(洋式)」、「日本式」というのは、完全な造語(?)みたいなモノなので、予めそのつもりでいて頂けたらと思います。
戦後の日本は生活様式から社会構造まで、多分にアメリカ式(洋式)を取り入れてきました。
食事、服、トイレ、クリスマスのようなイベント、資本主義経済、etc...
挙げだしたらキリがありません。
食事や服などのある種固定化されていること以外の概念やルールによってその形式を変えるような物事については、日本式独特のルールで成り立っています。
例えば、社会経済や集団ルールなどなど。
今、アメリカ(というか、世界)は経済面において非常に深刻な状態にあるようです。
個人的には情報媒体を通してしかその様子を見てないので、裏の実情まではよく知りませんが、兎に角そんな感じのように見受けています。
日本は洋式を取り入れることによって、非常に発展することが出来た国だと思っています。
この考えには賛否両論あるかとは思いますが、個人的にはそう思っています。
さて、そういった洋式を取り入れることによって発展してきた日本は、その発展の犠牲(?)として、失くした、若しくは失くしそうになっていることがあると思っています。
日本人の美徳としてきた「しとやか」や「マナー」や「謙遜」、所謂、礼儀というモノや、集団ルール(?)のような協調性などなど。
協調性については、農耕民族としての DNA がそうさせるのか、この辺りはまだ名残が残ってるような気がしますが、前者については失われ始めているような気がします。
自分も含めそう思います。
お金や立場や名誉があれば傲慢になり、「自分が」というような自己中心的な考え方を持ち、挨拶が適当だったり(うっす、など)、etc...
日本人の美徳というのが、その時代の流れに合わせて様々な様式を変える、ということだったら取り立てて問題はないと思います。
ただ、日本人の美徳というモノはある種の平和を守る(?)ようなことに繋がるようになっていると思うので、ある程度のレベルで守らなければいけないことだと思ってたりします。
例えば挨拶。
会社で上司と顔をあわせた時、「うっす」とか言われるとどうでしょうか?
少なからずとも、違和感を憶えると思います。
また、上司から挨拶をしないと挨拶をしない部下がいたらどうでしょうか?
必ず人間関係は崩れてしまいます。
英語では、挨拶で利用される単語が決まってて、そういったルールはないかも知れませんが、日本語ではそのようにはいきません。
ただ、言葉というのは、その時勢によって大きく変わってきました。
江戸時代の話し方を現代でそのまま使っても言葉足らずになります。
また意思疎通がかなり難しいです。
これは方言も然りです。
非常に難しいところですが、気持ちよくコミュニケーションの取れるレベルであれば、どのように変化をしても問題はないと思いますが、、、ある程度のラインで、です。
と、長くなってきましたのでそろそろ締めにかかろうと思います。汗
日本文化は善かれ悪かれまだまだ変わると思います。
それが社会問題かどうかと言うと、一概にはそうも言えないと思いますが、社会問題と日本文化の変化はどこかで繋がってると思っています。
善い方向に向くことであれば変化はすべきです。
ただ、そのうち善い事もあれば悪いことも出てきます。
そういったことにおいての覚悟は常々持っておくべきと思います。
さて、全然言葉足らずで恐縮ですが、そんな感じです。
ではでは。。(無茶締めしてすみません。汗)